ダイヤモンドに魅了された人々とその数奇なエピソード
まばゆく輝く美しき宝石ダイヤモンド。
そのまばゆい輝きに魅せられて、国を問わず多くの人が買い求めました。
今回はそんなダイヤモンドに魅了された人々の、数奇なエピソードをご紹介します。
ダイヤモンドは人生を狂わせる
ダイヤモンドを題材とした小説や映像作品は非常に多いものですよね。
たとえば「ティファニーで朝食を」では、主人公の女性がティファニーのウィンドウをうっとりと眺めながら朝食を摂るシーンが有名です。
尾崎紅葉の「金色夜叉」は、ダイヤモンドに目が眩んだ女性が婚約者を裏切るという小説です。
貫一がお宮を蹴飛ばしているシーンの銅像が建てられるほど当時は大流行しました。
レオナルド・ディカプリオ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」は、ダイヤモンドの不正取引をめぐる争いを描いた映画作品です。
ダイヤモンドが高価で需要のある鉱石だからこそできた作品と言えますね。
ダイヤモンドを題材とした作品は、場所や年代を問わず発表されてきました。
いつの時代もダイヤモンドに心奪われる人が多かった証拠でしょう。
日本人とダイヤモンドの関わり
日本では婚約指輪の代名詞となっているダイヤモンド。
その計り知れない輝きに女性は胸をときめかせ、男性は愛の証明に利用してきました。
しかし、実はダイヤモンドが日本の庶民にまで広まったのは明治以降の話。
ダイヤモンド鉱山が存在せず鎖国を続けていた日本では、目にすることすらできなかったのです。
1763年、平賀源内が蘭学と共にダイヤモンドを持ち込んだという説がありますが、偽物をつかまされたのではないかとも言われています。
確実に輸入されたのは明治維新後。
海外からダイヤモンドが持ち込まれ、日本国内でも流通するようになりました。
それでもまだダイヤモンドは「富の象徴」として、上流階級の人間だけが身につけられる宝石でした。
一般庶民もダイヤモンドを手にできるようになるのは戦後になってからです。
1990年代から日本でも婚約指輪を作る習慣が取り入れられ、ダイヤモンド販売店が出店され、ようやく一般庶民にも手の届く宝石になりました。
手に入るといっても、大粒のダイヤモンドは今も人々の憧れであり経済力の証でもあります。
世界中で愛されているダイヤモンドは、日本でも同じように愛され続けているのです。
深い青碧が美しいホープダイヤモンドに魅了された人々
ホープダイヤモンドとは、スミソニアン博物館で所蔵されている4.52カラットの大粒ブルー・ダイヤモンドです。
ホープ(希望)を冠しているにもかかわらず、美しいこのダイヤモンドは「呪いの宝石」として世に知られています。
はじまりはルイ14世です。
王の儀典用スカーフに用いられたのがホープダイヤモンドでした。
ルイ14世がこの宝石を手にした後、フランスは徐々に破滅への道を歩みます。
さらにルイ15世は天然痘で亡くなり、ルイ16世はフランス革命で処刑されました。
革命後に没収されたホープダイヤモンドは窃盗団に盗まれ数十年間行方不明になりますが、あるとき銀行家のヘンリー・ホープが所有していることが明らかになりました。
ヘンリー・ホープの死後、ダイヤモンドを受け継いだ孫は事業が破綻し、妻とも離婚。
再婚相手も亡くなるという不幸に見舞われました。
所有者はアメリカのワシントン・ポストのオーナー、マクリーンになりましたが、この家族にも不幸が訪れます。
息子が自動車事故で亡くなり、マクリーンはショックのあまりアルコール中毒に。
ワシントン・ポストも破産し、さらには娘が自殺してしまいます。
ホープダイヤモンドにはご紹介した以外にも多くの逸話が残されています。
その一部は事実ではないかもしれませんが「呪いの宝石」としての知名度を上げることに役立ったようです。
最終的にはハリー・ウィンストンからスミソニアン博物館へと寄贈され、現在では誰でも閲覧できるようになっています。
ダイヤモンドを世に知らしめたマリリン・モンローの怪演
1953年にアメリカで公開されたコメディ映画「紳士は金髪がお好き」では、主人公のローレライをマリリン・モンローが熱演しました。
豪華なダイヤモンドのティアラが出てくるこの映画で最も有名な楽曲が「ダイアモンドは女の親友」です。
「フランス人は愛のために死ぬと言うわね(中略)でも私は宝石をくれる男が好きなの」
と高らかに宣言し
「ティファニー!カルティエ!ラック・スター!フロスト・ゴーラム!ハリー・ウィンストンのことを話して、全部教えて!」
と大手メーカーを叫び
「ダイヤモンドは女の親友なのよ」
と締めくくります。
映画を観た女性たちは、この歌を口ずさみながらパートナーを引き連れてダイヤモンドを買いに走ったそうです。
誰もが認める絶世の美女がダイヤモンドの素晴らしさを語り、ダイヤモンドメーカーの名まで出てくるのですから、これほど宣伝になった映画もないでしょう。
ティファニーの秘蔵ダイヤモンドを初めて身につけたオードリー・ヘプバーン
歴史的大女優といえばオードリー・ヘプバーンではないでしょうか。
艶やかな黒髪と愛くるしい表情で、世の男性を骨抜きにしたオードリー。
今でも「ローマの休日」など代表作がよく視聴されています。
麗しい女性にはダイヤモンドが輝くもの。
オードリーも例に漏れず、大粒のダイヤモンドを身につけ登場します。
中でも有名なのが「ティファニーで朝食を」。
オードリー演じる主人公はティファニーに夢中で、ティファニー本店のショーウィンドウがよく見えるカフェで朝食を摂るほど。
映画のタイトルに店名が入っていることもあり、ティファニー社は全面的にバックアップしました。
さらに、ティファニー社が保有する128.54カラットのファンシー・イエロー・ダイヤモンドをオードリーに貸し出しました。
それまでこの秘蔵ダイヤモンドは、ディスプレイに飾られるだけで誰にも身につけられることはなく、ティファニーの象徴のような存在でした。
今回オードリーが初めて身につけ宣伝に利用したことで、ティファニーの圧倒的なブランド力が世に知れ渡ることになったのです。
遺品整理でダイヤモンドを獲得したハリー・ウィンストン
今でこそ世界的ジュエラーとして名高いハリー・ウィンストンですが、創業者のハリー・ウィンストンは小さな街の宝石店出身でした。
彼は幼い頃から父親の宝石店で遊ぶうちに宝石に興味を持ち、真偽眼を獲得したようです。
12歳のとき、質屋で投げ売りされていた宝石の模造品の山から本物のエメラルドを発見し父親を仰天させました。
父親に「いずれ宝石に支配されるのでは」と言わしめるほど宝石を愛したハリーは、大人になってから独自ルートを開拓し、ダイヤモンドの取り扱いを始めます。
ですがダイヤモンド最大手のデビアス社と取引をするには、実績や規模が足りませんでした。
そこで競売と遺品整理に乗り出します。
カットは古くとも良質なダイヤモンドが豊富に手に入ったため、研磨して流行の台座にはめ直し、魅力的なジュエリーに生まれ変わらせました。
こうしてハリー・ウィンストンは他の新参者とはまるで違う方法で、規模を拡大していったのです。
熱心な慈善家でもあったハリーは、前述のホープダイヤモンドを購入し、スミソニアン博物館に寄贈しています。
まとめ
その輝きで多くの人の人生を狂わせてきたダイヤモンドにまつわるエピソードをご紹介しました。
ダイヤモンドはその歴史に合わせて権威の象徴や愛の証など、様々な意味合いに使われてきました。
けれどもダイヤモンド自体は何ら変わってはいません。
どのような存在になろうとも、人はいつもダイヤモンド愛し焦がれているのです。