「前衛の女王」草間 彌生のアートたち
最近では真っ赤に染めたぱっつんヘアーをよく見かける草間彌生。
ご自身がアート作品のようですが、彼女の職業はアーティスト。
数々の芸術作品を生み出し、「前衛の女王」とまで呼ばれています。
現在、草間彌生は大人気のアーティストで、その名を知らない人はいないと言われるほど。仮に名前を知らなくても、作品は見たことがあるはずです。
今回は「前衛の女王」草間彌生についてまとめました。
草間彌生の代表作
出典:十和田市現代美術館 https://towadaartcenter.com/
独創的なセンスが光る草間彌生はそのすべてが代表作と言っても過言ではありません。
その中から、人気のある作品をいくつか紹介いたします。
南瓜
大きな野外彫刻をご覧になった人も多いのではないでしょうか。
日本では
十和田市現代美術館
福岡市美術館
松本市美術館
直島
草間彌生美術館
草間彌生の個展
などで鑑賞できます。
草間彌生にとって南瓜は精神的な力強さを象徴するモチーフだそうで、多くの作品が生み出されました。
南瓜の特徴はその大きさもさることながら、水玉模様が施されていることでしょう。
福岡市美術館に展示されている南瓜はひと目で南瓜と判断できますが、中には一見してかぼちゃとは分かりにくい作品も。
美術館巡りをして作品を見比べてみるのも面白いですよ。
水玉
草間彌生のもう一つ大きなモチーフといえば水玉模様です。
上記で紹介した南瓜も水玉模様で製作されています。
「水玉の履歴書 集英社新書 草間彌生」によると「水玉を創造し発展させることによって自分の命を認識していなければ、心の病気にかかった私は自殺していたことでしょう。」「円が平面で活発な動きがないのに対して、水玉は立体で無限です。」と語っており、幼少期から水玉に対して非常な興味関心があったことを物語っています。
草間彌生は平和の象徴として水玉を掲げているようで、水玉を使用した作品はすなはち草間彌生の平和や愛を示しているのです。
自ら水玉模様のタイトスーツに身を包み、顔には水玉のペイントを施し作品にしました。
また突然服を脱いだ男女の裸体に水玉模様をペイントしていく「クサマ・ハプニング」も草間彌生の知名度を高めるきっかけになりました。
無限の網(インフィニティ・ネット)
1959年、個展をニューヨークで開いた時にはじめて公開されました。
黒のバックに白のインフィニティ・ネットは大きな反響を呼び、草間彌生の名を知らしめることになります。
無限の網は構図がなく、キャンバスにただ網目が連なっているだけというミニマムな世界観が美術界に衝撃を与えました。
無限の網は現在も高く取引されており、2008年、ニューヨークのクリスティーズで落札された「No.2」は、5,792,000ドルで落札されました。日本円にして約5億4,000万円です。
ルイ・ヴィトンとのコラボ作品
出典:ルイ・ヴィトン https://jp.louisvuitton.com/jpn-jp/products/yayoi-kusama-x-louis-vuitton-creating-infinity-nvprod4800001v/R09253
草間彌生は服飾と芸術を同じように考えていたようです。
若い頃から自分の服を作り着ていました。ニューヨークに渡ってからは自分のブランドを立ち上げ「クサマ・ファッション」を世に売り出したのです。
芸術家が服を作り売り出すことは、現在では珍しくはありません。しかし当時は芸術とファッションは完全に切り離されたものでした。草間彌生が服を販売し、ビジネスとして成功させたことは驚異的なことだったのです。
そんな草間彌生は数々のファッションブランドとコラボを行っていますが、特に注目したいのがルイ・ヴィトンとのコラボでしょう。
ルイ・ヴィトンのデザイナーの1人、マーク・ジェイコブスが熱狂的な草間彌生ファンだったことで、オファーをしたそうです。草間彌生には独自のファッション理論がありましたが、それらをルイ・ヴィトンが了承することでコラボが実現しました。
2023年には2回目のコラボが実現し、世界中の人々が熱狂。
モノグラムに水玉模様や南瓜などが描かれたアイテムは、唯一無二の存在感を放っています。
草間彌生ってどんな人?
現代アーティストのトップに君臨する草間彌生。
現在の姿からは成功者としか見えませんが、その才能が世界に知らしめられるまでは苦労の連続だったようです。
幻覚や幻聴に脅かされる日々
「無限の網 草間彌生自伝 新潮社 草間彌生」によると、幼少期から物体の周りにオーラが見えたり、植物や動物の話す声が聞こえたりしたそうです。スミレの花が人間の顔に見えてしまい、恐ろしく感じたこともあったとのこと。
これらの現象は正常な私たちからすると幻覚や幻聴ということになりますが、草間彌生の感受性に影響を与え、芸術性を開花させる要因になったことはいうまでもありません。
常人は体験し得ない狂気的な体験をした彼女は、それらを絵に留めておこうとしました。絵を描いている瞬間は、強迫観念から逃れられたそうです。
確執からの開放と日本画
草間彌生はアメリカでデビューしました。当時、日本国内での芸術家の地位が低かったためデビューできないといった側面もありましたが、もっと根本的で切実な理由があったようです。
草間彌生の母は娘が芸術家になることを強く反対していました。当時の日本の状況では、芸術家として独立することは極めて困難だったでしょう。それに加えて、非常に厳格でヒステリックな人であったことも影響したようです。精神科医からも「早くお母さんから離れるように」と助言を受けていました。
草間彌生は母から逃れるために、日本国外に逃亡しなければならなかったのです。
日本国内では京都市立美術工芸学校で日本画を学びましたが、日本芸術界の体勢を嘆いて自宅に戻ります。
その後運命的な出会いを果たして渡米するのでした。
ジョージア・オキーフとの出会い
現在では海外旅行も比較的スムーズに行けるようになりました。しかし戦後間もなくであった当時の異本では、鎖国に近い状態です。草間彌生は窮屈な日本を飛び出してアメリカに渡ろうと決心していたものの、コネがないので実現できず、日本で二の足を踏んでいる状態でした。そこで思いついたのがジョージア・オキーフに手紙を書くことでした。ジョージア・オキーフはアメリカ画壇の第一人者であり、日本でも画集が販売されるほど有名だったのです。
草間彌生は一度も会ったことのない有名芸術家に宛てて、自分の作品と手紙を送りました。そしてなんと、彼女から返事が届いたのです。この件をきっかけに、草間彌生は渡米への気持ちをさらに強く持ち、身元引受人となってくれる人物を探し、多くの人の助力を得てなんとかビザを獲得。渡米を果たしたのでした。
「無限の網」発表
シアトルに飛んだ草間彌生は、早速個展を開き、成功を収めました。
その後ニューヨークに移り住んだ彼女は、極貧生活を余儀なくされます。
来客が訪ねてきてもコーヒーしか出せない。食べ物がなく、八百屋が捨てたキャベツの外皮などを煮て空腹を紛らわす日々。
そんな草間彌生を見かねて一人の女性が訪ねてきます。ジョージア・オキーフです。彼女は草間彌生に自分の画商を紹介します。絵をいくつか買ってもらった草間彌生は、そのお金で画材を買い、大きなキャンバスに網目を描き続けたのでした。
そうしてニューヨークでの初の個展で無限の網を発表。瞬く間に草間彌生は時の人となります。
これからも走り続ける草間彌生
前衛の女王として名を馳せるようになった草間彌生。
現代アートの最前線を走り続け、今も活力が衰えることもなく新作を発表し続けています。
恐るべきは草間彌生が世界中から愛されていることでしょう。
好みの偏りがなく、全世界で愛される草間彌生の作品は、国境も言葉も人種も超えてあらゆる人々の目を、心を満たしています。
まとめ
草間彌生は強迫観念などの症状に悩まされながらも、素晴らしい作品を世に産み落とし続けています。
彼女の作品はどれも高く評価されており、査定に出せば目をむくほどの価格がつくことも。
草間彌生の作品をお持ちなら、ぜひ一度買取専門店に持ち込んでください。創造以上に高い値段がつくかもしれませんよ。