ハイブランド買取物語3 パテックフィリップの時計など 雪平夫妻の場合
終活
雪平幸助(仮名)は、目の前に腕時計のコレクションを並べていた。
どれも精密で美しく、眺めているだけで時間が過ぎていく。
中でもお気に入りはパテックフィリップだ。
世界最高峰の技術が詰め込まれた高品質の腕時計。
その魅力に取り憑かれ、気づけば他のブランドも含めて何本も保有していた。
コレクションは長い年月をかけて集めたものだが、あの世にまでは持っていけない。
火葬する際にどれか1本だけでも一緒に、と思ったが、調べると腕時計は入れられないらしい。
燃やせないからと言われてしまえば、こちらは何も言えない。
しかし手放すにはあまりにも惜しい。
妻に相談すると「子どもたちにあげたらどうか」という。
それも良いと思い、すでに成人し孫もいる息子や娘たちに1本ずつ贈ることにした。
久しぶりに孫の顔も見られる。
なぜ安い腕時計ばかり選ぶんだ?
腕時計を譲ると打診すると、子どもたちは喜んでやってきた。父親のセンスが良いことをよく知っていたからだ。
雪平の家に子どもたちの家族が大集合した。家中が孫の声と笑顔でいっぱいになり、雪平も雪平の妻も喜んだ。
寿司の出前を頼み、テーブルをいくつも引っ張り出して家族全員で食卓を囲んだ。
食事が済みひと段落したところで、腕時計コレクションを披露する。
さあどうだと自慢も含めて並べたが、子どもたちが選んだ腕時計は、コレクションの中でもさほど高くないものばかり。
パテックフィリップは誰も選ばなかった。
不思議だ。高価な腕時計を取り合うんじゃないかと思っていたのに。
すると雪平の考えを読んだように、一番上の息子が言った。
「父さん、あまりに高い腕時計には相続税がかかるんだよ。だから中古価格で100万円以下くらいのものが欲しいんだ」
なるほど。税金を気にしていたのか。まったく想定外だった。
金融機関に勤めているこの息子は、雪平が知らないこともよく知っている。
聞けば、年間110万円までは相続税がかからないらしい。
「高価すぎる腕時計は、申し訳ないけど引き取れない。うちには相続税を払う余裕なんてないからさ」
「父さん、嫌ならいいんだけど」
今度は、ハキハキとものを言う2番目の息子が話しかけてくる。
「高すぎる腕時計はお金に変えておいてくれると助かるよ。その方が父さんが亡くなった後、きょうだいで分配しやすいから」
「そうか……」
息子の言葉に、雪平は若干ショックであった。
目の前に並んだ腕時計の数々は、一眼見ただけで分かるほどに素晴らしいものだ。
それを欲しがりもせず、換金しておいてくれと言われるとは……
価値を理解してくれる人に譲りたい。だから、買取専門店という選択
子どもたち家族が帰った後、雪平の家は普段よりも広く大きく、そして薄寒く感じた。
ぽっかりと心に穴が空いたように感じたのは、子どもたちがいなくなったからだけではなかった。
「俺のコレクションは、子どもたちには理解できなかったんだな」
「好みは人それぞれ。家族といえども、子どもには子どもの好みがあるんですよ」
妻の言葉には若干の同情心が隠れていた。
「そうだ、あなたのコレクションの価値をきちんと理解してくれる人に売ったらいかがですか?相手の人も喜ぶでしょうし、換金できるから子どもたちも喜ぶわ」
「しかし、腕時計をコレクションしている友人なんて俺には……」
「友人でなくてもいいじゃないですか」
妻はにっこりと微笑んだ。
雪平夫妻は銀座のDan-Sha-Ri(ダンシャリ)にやってきた。
残った腕時計のコレクションを売却するためだ。
「いくつかお店を回ってもいいですか」
まずは妻が切り出した。
もちろんです、と店員が答える。
いくつか店舗を回り、腕時計の扱いが最も良かったところに売却するつもりだからだ。
紙袋に入れて持参したコレクションを店員に渡すと、丁寧に中身を取り出し査定し始めた。
流れるような手捌きで1つ1つを鑑定していく。
雪平の秘蔵であるパテックフィリップも丁寧に、しかし手早く鑑定された。
あまりの早さに、本当に鑑定できているのかと少し不安になるほどだった。
「終わりました。合計でこの金額になります」
提示された金額は、確かに買った値段よりも安い。
だが中古として考えれば破格の値段だった。きちんと査定されている値段だと感じられた。
雪平はさきほど「本当に鑑定できているのか」と疑ったことを反省した。
「ありがとうございます。一旦失礼します」
と切り出して、一度店を出る。
事前に調べておいた買取店2軒を回ったが、やはり最初に査定してもらったダンシャリに売却することにした。
コレクションを丁寧に鑑定してくれたことが雪平の心に残っていたのだ。
再び来店すると、店員は雪平のことを覚えていた。
丁寧に扱ってくれることが重要だから
「買取お願いします」
「承知しました」
あっさりと買取が決まり、コレクションと引き換えに少なくない現金がその場で手渡された。
さきほどまで手の中にあったコレクションが、今は現金になっている。
雪平は複雑な心境だ。
大切なコレクションだった。
自分の給料の半分以上を使い込んだこともあった。
思い入れもあったあの腕時計たちが、今はもう、雪平のものではないのだ。
「これで、あなたの腕時計の価値を理解してくれる人の元に届けられるわね」
隣で妻が囁く。
そうだ。そのために腕時計を売却したのだ。
価値を理解してくれる人に届けるために、雪平は買取専門店を利用した。
いつかどこかの店で価値を見抜き手に取ってくれる、新しいコレクターの手に委ねるために。
自分が突然いなくなった後、腕時計がぞんざいに扱われることを雪平は心配していた。
信頼できる専門店に売却したことで、その心配はもう無くなったのだ。
コレクションを手放し、雪平は少し身軽になったように感じた。
手放すべきものを、手放すべき時に、手放せたためだろう。
「大切なコレクションです。どうか丁寧に扱ってください」
「かしこまりました」
雪平の言葉に、店員ははっきりと答えた。
平穏な相続を迎えるために
「あなた、行きましょう。他にも処分しなくちゃいけないものがたくさん残っているんですから」
「ああ、そうだな」
ふたりは並んで歩き出した。
自宅に帰るために。
終活の続きをするために。
子どもたちが諍いなく遺産を手にできるように。