銀座でブランド買取なら高価買取のダンシャリ銀座

MENU CLOSE

査定・買取方法はお客様のご要望に合わせて!

まずはカンタン無料査定!ご相談もお気軽に!

0120-954-288 受付時間 11:00~19:00

受付時間
11:00~19:00

VINTAGE
  • 2022年10月19日
  • 2022年9月9日

革命家チェ・ゲバラの愛したロレックス〜新たな挑戦を予定しているあなたに

葉巻をくゆらせる戦闘服姿のチェ・ゲバラ。

キューバ革命を成功させた立役者であり、その後も南米の各地で革命運動を続けた利他的な人物として知られています。

フランスの哲学者サルトルからは「20世紀で最も完璧な人間」と評されるほど、彼にはカッコいいが詰まっています。

そんなゲバラには相棒とも言えるロレックスがありました。

今回は憧れの革命家チェ・ゲバラとロレックスについてご紹介します。

 

革命家チェ・ゲバラの半生

 喘息に苦しんだ幼少期

チェ・ゲバラこと、本名エルネスト・ゲバラ・デ・ラ・セルナは、1928年にアルゼンチンで生まれました。

幼い頃から重い喘息に悩まされていましたが、なんとか命をつないでいました。

実家が裕福だったこともあり、20代になると医者を志してブエノスアイレス大学で医学を学びます。

その在学中に体験した南米大陸横断の旅が、彼の人生を決定づけることになりました。

彼の目に飛び込んできたのは激しい貧富や差別でした。

これまで生まれ育った環境では考えられなかった事実を突きつけられ、彼は大きなショックを受けます。

そしてマルクス主義(いわゆる共産主義・社会主義)に傾向していきました。

 

キューバ上陸

大学卒業後、2度目の南米放浪でボリビアを訪ね、ボリビア革命によってインディオたちが解放され自由を喜んでいる光景を目の当たりにし、またも大きな衝撃を受けました。

ゲバラはグアテマラで医師として活動し、女性活動家のイルダ・ガデアと出会い結婚します。

グアテマラ政権からゲバラの暗殺指令が出されたことをきっかけに、メキシコへ移住。

この地でフィデル・カストロとの運命の出会いを果たします。

 

本格的な軍事訓練を受けた後、妻子を残してキューバに密航し、反政府勢力と合流して力をつけていきました。

 

キューバ革命の成功


軍医として活動してきたゲバラでしたが、その忍耐力や分析力などを遺憾無く発揮し、徐々にリーダーへとのし上がっていきます。

キューバ革命時には反政府軍のナンバー2に昇格。

カストロ議長の右腕として働くことに。

 

運命の19581229日、反政府軍300人を率いて政府軍6000人と対決します。

多数の市民による加勢もあって首都ハバナに突入。

翌年195911日には、フルヘンシオ・バティスタがドミニカ共和国へ亡命し、18日にはカストロがハバナ入りしました。

これをもって「キューバ革命」達成となり、ゲバラはカストロと共に英雄となったのです。

 

革命成功後は国立銀行総裁と工業相に就き、キューバを支えます。

社会福祉事業の無償化による重圧のため経済が逼迫していく中、ゲバラは積極的に肉体労働に従事していました。

 

再び戦乱の地へ

ゲバラが社会主義大国だったソビエト連邦を強く非難したことで、キューバはソビエトから弾圧を受けます。

その結果ゲバラはキューバの政治から退くことを選び、再び革命を成功させるためコンゴへ向かいました。

しかしコンゴでの活動は成功せず、自身も喘息に苦しみチェコスロバキアへ。

回復後キューバへ戻り、今度はボリビアへ渡ります。

ボリビアで援助を受けるはずでしたが、ゲバラの独自の革命理論は受け入れられずボリビア共産党との協力は実現しませんでした。

またキューバのカストロからの援助も滞り、苦戦を強いられます。

1967108日、敵軍に捕縛されたゲバラは、右足、左胸、首、そして心臓を撃ち抜かれて絶命。享年39歳でした。

 

死後の影響

チェ・ゲバラは生前から、キューバの人々を圧政から救った英雄として担ぎあげられていました。

その生き様、思想、そしてなし得たものの大きさが、死後も彼を英雄として讃え続けています。

1960年代には、チェ・ゲバラの顔をプリントしたTシャツやポスターが溢れ、資本主義に対抗する若者たちのシンボルとして扱われるほどに。

ボリビアでは「イゲラの聖エルネスト」と呼ばれ崇め奉られています。

1997年、ボリビアの空港滑走路下から遺骨が発見され、キューバの家族の元へ送られました。

 

革命家として名高い反面、多くの血を流したとして批判も根強いチェ・ゲバラ。

誰がどのような見方をするにしても、おそらく彼は自分の心のままに挑戦し、悔いのない人生を歩んだことでしょう。

 

チェ・ゲバラが愛用したロレックスGMTマスターⅠ

革命家であったチェ・ゲバラはロレックスを愛用していたことでも知られています。

彼の相棒は「GMTマスターⅠ」。おそらくRef.1675です。

青と赤のベゼルが特徴的ですね。

当時のGMTマスターⅠはステンレスベゼル にプラスチック風防でした。

傷つきやすいというデメリットもありましたが、長く使えば使うほど味が出るメリットも。 

フィデル・カストロ議長もロレックスに心酔

チェゲバラの戦友カストロは、大のロレックス好きで有名です。

友人たちにロレックスをプレゼントするのが習慣になっていたほど。

多数のコレクションを収集しており、自身も2個づけするのが好きだったようです。

カストロ議長の画像を検索すると、ロレックスを腕に2個重ね付けしている彼がたくさん見つかりますよ。

 

 チェ・ゲバラがロレックスを選んだ理由・買えた理由

チェ・ゲバラはなぜロレックスを愛用していたのでしょうか?

ゲリラ活動中も政治活動中も身につけていたのですから、単純にデザインが気に入ったからだけではないでしょう。

ロレックスGMTマスターⅠは①第2時間帯が分かる②正確性が高い③壊れにくい④世界中どこでも換金可能⑤値段が手頃

という5つの観点から選ばれたと推測されます。

 

第2時間帯が分かる

 

ご存知のとおりGMTマスター1第2時間帯が読み取れる時計です。

各国でゲリラ活動を行なっていたゲバラにとって、現在潜伏中の国の時刻とキューバの時刻のどちらも読み取れる時計が必須だったのでしょう。

視認性が良く、どんな場所でも見やすいことも重要なポイントだったに違いありません。

 

正確性が高い

 

当時の腕時計は1日に12分程度ずれることは当たり前でした。

作戦実行中の12分のずれは命に関わりますから、ロレックスの正確性の高さは非常に重宝されたようです。

なお戦争映画などでは、作戦決行前に全員で時計を合わせる描写が描かれています。

ぜひお確かめください。

 

壊れにくい

 

当然ながら耐久性も大事な要素でした。

交戦中に時計のことまで気が回るはずがありませんので、いろんな場所に何度もぶつけたはずです。

壊れれば時計としての価値はありませんから、耐久性能抜群のロレックスを選ぶのは当然のことと言えます。

 

世界中どこでも換金可能

 

当時からロレックスは価値ある腕時計として認められていました。

そのため世界各国で換金できたのです。

ゲリラ活動にはお金が必要ですし、武器の購入にもロレックスを換金して得られた現地通貨を利用した可能性があります。

世界的認知度の高いロレックスだからこそできる利用方法と言えますね。

 

値段が手頃

 

今では考えにくいことですが、当時のロレックスは超高級腕時計と言えるほど高価なものではありませんでした。

高級といえどもそれほどのハイブランドではなかったのです。

裕福な家庭に生まれ育ったゲバラですから、ロレックス以外にもっと高価な腕時計はいくつも見てきたはずです。

けれどもロレックスを選んだのは、それほどスペックが良かったことの現れではないでしょうか。

 

まとめ

キューバ革命を成功させた革命家チェ・ゲバラは、ロレックス愛用者でもありました。

そのため今でもゲバラにあやかろうと、ロレックスGMTマスターⅠを求める人は後を立ちません。

もしあなたがこれから何かを成し遂げようとしているのなら、GMTマスターⅠを身につけてみてはいかがでしょうか

きっとゲバラのように、その挑戦が実を結ぶことでしょう。