永遠の輝き・ダイヤモンドジュエリーの歴史と魅力について
今では婚約指輪の代名詞ともなったダイヤモンド。「給料の3ヶ月分」なんて神話もありましたね。日本にダイヤモンドが普及したのは明治時代で結構最近なんです。ですが他の地域では驚くほど昔から装飾品として親しまれてきました。
今回は永遠の輝きダイヤモンドとその美しさに魅せられた人々の歴史をご紹介します。
ダイヤモンドの名前の由来
当たり前のように使っている「ダイヤモンド」という名称は、ギリシア語の「adamazein」または「adamas」が語源ではないかと言われています。
「征服できない」から転じて「無敵」という意味の言葉で、単語のはじめの「a」が「not」にあたる否定の意味を持っています。
adamazein→adamant→aがはずれる→diamondに変形したと言われています。
当時のダイヤモンドは地球上で最強に近い硬度を誇っていたでしょうから、「何者にも征服できない」「無敵」の宝石としてふさわしい名を冠されたのでしょう。
日本名は「金剛石」。非常に硬い石として認識されていたことが分かります。
ダイヤモンドの石言葉は「純潔」「永遠の絆」「清純無垢」。透きとおり美しく煌めくダイヤモンドは、石言葉もウェディングにベストマッチなんです。
世界のダイヤモンドの歴史
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紀元前4世紀ごろインドの河川で発見
ダイヤモンドの歴史は非常に古く、紀元前4世紀ごろにインドの河川で採集されていたとみられています。当時のダイヤモンドの採集量はそれほど多くはなかったため、インドの限られた富裕層だけが手にすることを許された貴重な宝石でした。しかし徐々に交易により西ヨーロッパに流れていきました。
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紀元前はお守り
紀元前にはダイヤモンドを研磨する技術がなかったため、「硬い」ことが特徴の石でした。そのため耐久性が必要な工業品や、戦地へ赴く男性がお守りや魔除けとして身につけていたとも言われています。
当時はダイヤモンドに強い魔力が宿っていると考えられていたのです。
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1475年ベルギーで初めてダイヤモンドが研磨される
ルドウィクヴァンベルケムが、ダイヤモンドをダイヤモンドで磨くという方法を編み出しました。これにより、ダイヤモンドが秘めている魅力的な輝きが、人々に広く知られるようになったのです。
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1700年代後半には庶民階級にも広まる
1700年初頭にインドでのダイヤモンド採集量が減少してきたのですが、1728年ごろにブラジルでダイヤモンドが発掘されました。それまでダイヤモンドは「インド石」とも呼ばれており、インドでしか採れない宝石だと考えられていましたが、その考えが根底から覆されることになったのです。以降ブラジルは150年以上もダイヤモンドを供給し続けることとなります。
ブラジルで新たなダイヤモンド採集が始まった頃、ダイヤモンドを購入できる層が広がってきました。ダイヤモンドは一部の支配階級だけでなく、より多くの人々に愛されるようになりました。
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1800年代後半にアフリカでダイヤモンド鉱床が発掘される
1800年代後半にはダイヤモンドを求める富裕層が増加し、ダイヤモンドの需要がさらに拡大。そんな折に南アフリカでダイヤモンド鉱床が発見され、ダイヤモンド販売会社デビアス社が参入。以現在に到るまで、ダイヤモンド原石の世界生産量の約90%を支配し続けています。
日本におけるダイヤモンドの歴史
紀元前から発見され利用されていたダイヤモンドですが、日本に輸入されてきたのは明治時代です。西洋文化とともに流入し、宝飾品として身につける習慣も同じ時期に伝わりました。
1891年(明治24年)銀座の高級品店であった天賞堂が、日本ではじめてダイヤモンドの輸入販売を開始したとされています。天賞堂は1897年(明治30年)尾崎紅葉の「金色夜叉」にダイヤモンドを登場させ大キャンペーンを展開し大々的にダイヤモンドを広め売り込みました。まだまだ高級品であった当時は、ダイヤモンドを手に取れるのは富裕層のみの超高級嗜好品。庶民の手の届くものではありませんでした。
高度経済成長期の1970年代には、デビアス社が「婚約指輪は給料3ヶ月分」というキャッチコピーを展開。ダイヤモンドは庶民が少し無理をしてでも購入する婚約指輪として定番になりました。
1990年代バブル期には、デザインも増えて購入数が一気に増加。婚約指輪だけでなく、カジュアルアクセサリーとしても利用されるように。
今でも婚約指輪といえばダイヤモンドですね。また指輪だけでなくピアスやペンダントなど様々なアクセサリーに加工され、人々の日常に輝きと潤いと与えています。
美しく妖しいダイヤモンドたち
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ホープダイヤモンド
呪いのブルーダイヤモンドとして有名となったのがホープダイヤモンドです。ホープダイヤモンドを購入したフランス王朝のルイ14世は子どもや孫に先立たれ、ルイ16世は王妃マリー・アントワネットと共に断頭台に送られることとなりました。1830年にホープダイヤモンドを手にいれた銀行家のヘンリー・ホープはその後破産。手に取った者を破滅へと導くダイヤモンドとして今でも語り継がれているのです。
現在はアメリカ合衆国のスミソニアン国立自然史博物館で保管されています。
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コ・イ・ヌール
コ・イ・ヌールはペルシア語で「光の山」を意味する言葉で、このダイヤモンドを手にした者は世界を征服すると言われています。
現存する世界最古のダイヤモンドであり、元は186カラットもの大きさでした。のちにカットされ、今では108.93カラットになっています。
コ・イ・ヌールが最初に登場するのは1700年代。ペルシアの創始者ナディール・シャーは、ムガル帝国皇帝のターバンに隠し持っていたコ・イ・ヌールを発見しあまりの大きさに「コ・イ・ヌール!」と叫んだと言われています。その後コ・イ・ヌールはペルシアやインドの支配階級の間を転々とし、最終的にイギリスに渡ります。コ・イ・ヌールは当時のイギリス女王であったヴィクトリア女王に献上され、ティアラやブローチにつけられ愛用されました。
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リージェント・ダイヤモンド
1700年ごろ発見された410カラットを超える大粒のダイヤモンドでした。この原石は18世紀に英国首相ウィリアム・ピットの祖父であるトーマス・ピットに売却されて英国に。英国で研磨されたダイヤモンドは1707年にフランスのルイ15世の摂政オルレアン公フィリプが購入し、その名をリージェントに変えました。1792年には王室財宝庫から盗みだされたものののちに発見。ナポレオンの戴冠式で身につけられました。現在はルーブル美術館に展示されています。
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ザ・ゴールデン・エンプレス
アフリカのレソト王国で発見された132.55カラットもの大粒ダイヤモンドです。この世界最大級のイエローダイヤモンドは2015年に発表され、日本にもお目見えしました。太陽の光のように輝く大粒のダイヤモンドは、人々を魅了して止みません。現在はイギリスのジュエリーブランド「グラフ」が所有しています。
まとめ
ダイヤモンドの歴史は紀元前まで遡れるものです。当初は魔除けや工業品として利用されてきましたが、研磨技術が発達すると宝飾品としての価値を高めることになりました。その美しさゆえに紛争や諍いの元凶とも言われてきたダイヤモンド。しかしその一方で、婚約指輪として愛の証にされてきたのです。美しいダイヤモンドは人の心を虜にし、今尚求められ続けています。
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