世界的ジュエラー・ティファニーの伝説的デザイナーたち
美しいティファニーブルーが特徴的な世界的ハイブランド・ティファニー。オープンハートやインフィニティペンダントなど、年代を問わず女性の心を鷲掴みにする数々のジュエリーを生み出してきました。
そのデザインセンスや高貴さはアメリカ国事にも採用されるほど。アメリカ紙幣の印章の改定や、自由の女神像完成式典の招待状作成、ホワイトハウスの内装などを手がけ、アメリカ国内でも最大級のジュエラーとして君臨しています。
世界で指折り数えられるほどティファニーが成長を遂げたのは、創世記から今に至るまでの優秀なデザイナーたちのおかげと言っても過言ではありません。
今回はティファニーの伝説的なデザイナーたちをご紹介します。
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ジャン・シュランバージェ
フラワーやバタフライなどの自然由来のモチーフを用いて独創的なジュエリーを数多く作り上げてきたジャン・シュランバージェ。フランス人の彼は第二次世界大戦終結後にアメリカに渡り、ティファニーにパートナーとして加わります。ジャン・シュランバージェは新興富裕層向けに、上品かつゴージャスなジュエリーを展開。瞬く間に広まり、大人気ジュエラーとして君臨することになります。彼の作品は映画にも影響を及ぼしています。「ティファニーで朝食を」のプロモーション用にと作成された大ぶりのネックレスは、天才女優オードリー・ヘプバーンの首元をエレガントに魅せてくれました。彼は独創的なデザインとその人気ぶりでティファニーの副社長に就任。ニューヨークに出店したサロンには多くのセレブやスターが代わる代わる来店し、そのことがさらに評判を呼びました。1958年、ジュエリーデザイナーとしては初となるコティ・アメリカン・ファッション・クリティック賞を受賞。1995年にはパリ装飾芸術美術館において彼の回顧展か催されました。1987年80歳で亡くなるまで、尽きることのない想像力で数多くのジュエリーを残しています。
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エルサ・ペレッティ
曲線的な美しさでデザインの何たるかを教えてくれる魅惑的なジュエリー。そのデザイナーこそエルサ・ペレッティです。彼女はローマとスイスで育ち、最終的にローマに戻りインテリアデザインの学位を取りました。その後はニューヨークとバルセロナでモデルとして活躍していましたが、あるとき転機が訪れます。彼女は仕事上多くの人々と交流がありました。中でも親しかったファッションデザイナーのジョルジオ・ディ・サンタンジェロが、ショーの中で彼女のデザインしたジュエリーを使用したところ非常に反響があり、そのままジュエリーデザイナーの道へ転向したのです。1974年からティファニーの専属デザイナーになった彼女は、これまでにはなかったなめらかで官能的なフォルムのデザインでジュエリー業界に革命をもたらしました。今でも人気の高いオープンハートやビーン、バイ・ザ・ヤードなどもエルサ・ペレッティの作品です。1981年にはロードアイランドデザイン学校校長賞受賞。1996年にはデザイナーオブザイヤーに選出されました。大英博物館、ボストン美術館、ヒューストン美術館の常設コレクションとして展示もされています。2021年3月19日に惜しまれつつ80歳で亡くなりました。
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パロマ・ピカソ
誰もが知るあの天才画家パブロ・ピカソの娘として1949年に生を受けました。父母ともに芸術家の家柄であったことから、パロマははじめ衣装デザインの道へ進んでいました。しかし1968年ごろからジュエリーデザイナーとしての活動を開始し、イヴ・サンローランのジュエリーを発表。1980年、ティファニーのデザインを任されるようになり、一躍時の人となりました。革新的で斬新なデザインは高い評価を得ており、ラビングハートやオリーブ・リーフといった作品は今でも人気の高いデザインです。シンプルで身につけやすく、それでいて上品。普段の生活にマッチした、現代女性のためのジュエリーと言えるでしょう。2011年にはワシントンDCの国立女性美術館で作品展が開催されました。現在も精力的に作品作りに取り組んでいます。
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ティファニーに見初められた日本人デザイナー水野薫子
水野薫子は日本人にも関わらず、ティファニーでデザインが採用された天才的デザイナーです。フランス現代アートの巨匠、ジョルジュ・ブラックに魅了されてジュエリーデザイナーを志した彼女は、ジュエリーデザインの専門学校在学中にインターナショナルパールデザインコンテストで金賞を受賞。そのほか数々の輝かしい賞を総なめにしました。
1981年、米CITY GOLD社の依頼で作成したデザインがティファニーで採用されました。さらに世界最大のダイヤモンド業社デビアスロンドン本社から作品を買い上げられ永久保存され、毎年デザイナーズコレクションのメンバーとして選出されています。2005年にはソロモン流で世界が認めるジュエリーデザイナーとして紹介された日本を代表するジュエリーデザイナーです。
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創世記を支えたデザイナーたち
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チャールズ・ルイス・ティファニー
ティファニー創始者その人で、キングオブダイヤモンドと言わしめたアメリカの功労者です。
アメリカでダイヤモンド販売を始め、さらに価値を高めるためにジュエリーデザインを考案。エンゲージリングといえば6本の爪の中に収められたダイヤモンドが光り輝く情景が浮かびますね。あれこそが「ティファニーセッティング」。チャールズ・ルイス・ティファニーが考案した、ブリリアンカットのダイヤモンドが浮かびあがる格式高いスタイルです。
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ポールディング・ファーンハム
1889年、世界中から人々が集まったパリ万博において、ポールディング・ファーンハムが色鮮やかな宝石を加工し、まるで本物の蘭のようにデザインした「蘭の花」が注目の的になりました。当然のように金賞を受賞、その後様々な展覧会で金賞を受賞し、ティファニーの名と共に世界中に知れ渡ることになります。「自然こそデザインの源」という姿勢を崩さず、ナチュラルな美しさをどこまでも追い求め、ジュエリーに落とし込んでいきました。
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ルイス・コンフォート・ティファニー
ルイス・コンフォート・ティファニーはチャールズの息子で、ティファニーの2代目にあたります。起業家の2代目というとパッとしないイメージがありますが、彼は周囲からの期待に応え続けてきました。もともとデザインに才能があったことも功を奏し、ステンドグラスやモザイク、絵画、ランプ、花瓶、建築などの分野でも活躍した人物です。先代の死後はティファニーのデザインディレクターに就任し、芸術的なジュエリーを数多く残しました。独特で希少なカラーストーンを手に入れ、深みのある美しい作品を世に送り出しました。1900年のパリ万博では、ティファニー・スタジオを出展。ティファニー社の作品をしのぐと評判になるほど。彼は自然の中からインスピレーションを得て繊細なデザインを生み出してきました。そのナチュラリズムは現在のティファニーにも色濃く受け継がれています。
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まとめ
日本でも大人気のハイブランド・ティファニーは、天才的デザイナーたちの功績によりここまで大きく成長してきました。ご紹介しきれなかったデザイナーも含めて、彼らはジュエリーの可能性を大きく飛躍させ、そして世界中の女性の美しさを引き立ててきたのです。次にあなたが身につけるジュエリーにも、デザイナーの情熱が宿っています。見た目の美しさはもちろん、その裏に秘められた思いをぜひ感じ取ってください。