ポール・ニューマン~ロレックスと過ごした日々~
ロレックスで真っ先に思いつく有名人といえばポール・ニューマンではないでしょうか。
ロレックスファンの間で‘ポールニューマンダイヤル’という名まで冠せられた伝説の俳優兼サーキットレーサー。
デイトナを世に知らしめたその人は、愛する妻から送られたロレックス、いわゆる‘ポールニューマン’を大切に使っていたそうです。
切っても切れない関係にあるポール・ニューマンとロレックス。
今回は栄光の人とロレックスとの邂逅、そして軌跡をご紹介します。
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ポール・ニューマン栄光の軌跡
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
ポール・ニューマンは3度のアカデミー賞受賞をはじめとして、カンヌ国際映画祭男優賞、ゴールデングローブ賞ほか数々の輝かしい賞を総なめにしてきました。
今でこそもてはやされる彼ではありますが、幼い頃は虚弱体質でいじめられっ子だったようです。
7歳の頃、母親の勧めで児童演劇団に入団。12歳には児童演劇部に入部しました。しかし当時のポールは演劇に興味をもてませんでした。
両親はスポーツ用品店を経営しており、彼はその後を継ぐ予定でいたようです。オハイオ大学で経済学を学びます。ところがその最中に第二次世界大戦が勃発。ポールは海軍に入隊します。
終戦後はオハイオ大学を経てケニオン大学に進学。フットボールに明け暮れていましたがケンカが原因で除名処分を受けてしまいました。これを機に演劇の道を再び歩み始めます。
演劇の修行のさなか、出会った女性と結婚。父が亡くなると一旦家業を継ぎますが、演劇の道を諦めきれずに店を売却。イエール大学大学院に進学します。
大学院で披露した演技がプロデューサーに認められ、ポールは役者としての道を本格的に歩み始めました。
着々とスターへの道を登りますが、驚くべきスピードで出世していく同期のマーロン・ブランドと比較され「第二のマーロン・ブランド」と揶揄されたポールは意気消沈します。映画からテレビ俳優に切り替えてやり直しを図るとこれが大当たり。演技が絶賛され売れっ子俳優になっていきました。
同時期に妻と離婚。2年後に再婚した相手が、のちのポールにデイトナを贈ったジョアン・ウッドワードです。2番目の妻とのおしどり夫婦ぶりは世間の知るところで「家でステーキが食べられるのにわざわざ外でハンバーガーを食べる必要はないだろう?」と発言したことは世界的に有名なエピソードです。
公私ともに絶頂を迎えていましたが、やがて悲劇が訪れます。
前妻との間にできた息子スコットが酒とドラッグが原因で命を落としてしまったのです。愛する息子の死に深く傷つき、ポールは麻薬撲滅運動の展開や基金の設立、ドラッグの弊害を訴える番組への資金提供を開始しました。
ポールはレーサーや実業家としても成功しています。
1969年の主演映画「WINNING」でレーシングドライバーを演じたことをきっかけにレースに目覚めます。ル・マン24時間レースでは2位という功績を残しました。サラダドレッシングを開発すると、25年以上にわたり大人気の商品に。その後ワインなどの多くの食品を販売。今でもニューマンズオウンの名で取り扱っています。
多くの分野で社会に貢献してきたポール・ニューマン。
2008年、愛する家族に見守られながら最期の時を迎えました。
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ポールとロレックスの邂逅
https://www.jiji.com/jc/d4?p=oms012-jlp07290509&d=d4_ent
ポール・ニューマンが最も大切にしたロレックスは、2人目の妻ジョアンからの贈り物でした。
当時ポールはレーシング映画撮影中に、度々危険なレースに参加していました。その様子をハラハラしながら見ていたジョアンは、ポールにロレックスを渡すのです。言わずと知れたコスモグラフデイトナ。モータースポーツに特化した史上最高の腕時計。エキゾチックダイヤルと呼ばれる文字盤がついており、レース中でも視認性が抜群でした。しかも裏面には「DRIVE CAREFULLY ME」(安全運転で)の文字が刻まれていました。
ポールは最愛の妻からの贈り物を大事に扱い、公私を問わず身につけていたと言います。ポールが常にロレックスを身につけている様子が全国的に広まり、エキゾチックダイヤルのついたデイトナを「ポールニューマンモデル」と呼ぶことが定着していきました。
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世界一高価な腕時計
https://www.nationaljeweler.com/articles/6641-selling-for-17-8m-paul-newman-s-rolex-sets-record
2017年10月に行われたオークションで、ポールが使用していたデイトナが落札されました。価格は1775万2500ドル。当時の日本円にしておよそ20億2千万円です。
日本でも有名なアメリカの大スター・ポール・ニューマンが使用していた、元祖ポールニューマンモデルということで値段はどんどんつり上り、腕時計としてはオークション史上最高額が叩き出されたのでした。
ポール・ニューマンがつけていたデイトナが出品に至るまでには、陰で小さなドラマが繰り広げられていたのです。
妻からプレゼントされてからおよそ15年間も身につけていたデイトナですが、ある日若者の手に渡ります。その相手は、当時娘の彼氏だったジェームズ氏です。ジェームズは交際中のネルの紹介でポールと知り合いました。ニューマン家とジェームズはとても仲が良かったようです。
ある日ポールはジェームズに時間を尋ねました。その日は時計のねじを巻くのを忘れてしまっていたのです。ジェームズが時計を持っていないからわからないと答えると、ポールは「毎日巻くのを忘れなければ、ちゃんと時間を知らせてくれるよ」自分の腕にはめてあったロレックスを手渡しました。
こうしてポール・ニューマンのデイトナはジェームズに渡りました。
当時のジェームズは手渡されたデイトナの価値を知りません。
それでもポールからの贈り物を大切にし、メンテナンスを欠かすことはありませんでした。
ジェームズはポールからとても深い愛をもらったと考えていました。今度は自分が他の誰かの役に立とうと。そして思いついたのがデイトナの売却でした。
ジェームズはネルと相談して所有しているデイトナをオークションで売却し、利益を慈善団体に寄付することにしたのです。
こうして2017年、ニューヨークのフィリップス主催のオークションに、ポール・ニューマンが愛用していたデイトナが出品される運びとなりました。
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ポールニューマンモデルとは
https://vintagerolex.jp/v_rolex/daytona/6485.html/
エキゾチックダイヤルを取り入れたコスモグラフデイトナref.6239を指します。妻ジョアンがポールにプレゼントしたロレックスのモデルです。
別名エキゾチックダイヤルと呼ばれるポールニューマンダイヤルを取り入れた、レーシングスポーツを愛する人々のために作られた腕時計です。
文字盤外周のセコンドトラックとインダイヤルには反転カラーが採用されており、視認性とデザイン性が両立した美しい文字盤です。
インダイヤルのアラビア数字と四角形のポイントがアクセントです。
その優れた美しさ、希少性などから年々市場価値が高騰しています。
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まとめ
ロレックスとポール・ニューマンは意図せずに深くつながっています。
ロレックスはポールのおかげでデイトナの価値を世に知らしめることになり、ポールは視認性の高いデイトナを身につけることで幾多の危機を乗り越えてきました。
妻から贈られたロレックスはポールの腕で約15年間働き続け、ジェームズ氏によってオークションにかけられることで慈善事業に一役買っています。
1本のロレックスが世間を沸かせ、人生を大きく揺るがし、そして慈愛を生んでいるのです。
あなたも最高のロレックスを見つけて、共に人生を歩んでみませんか。